最終的に参加者は、指揮者の中田氏、及び演奏者38名、ツアー参加者(観客)1名の計40名となった。
本隊は、11/1(木)に日本を出発、日本時間の同7日(水)に帰国、というスケジュールであった。
ただし、中田氏は2日前に事前打合せ等で出発、また団員の中で事務局長を含む3名が事前準備確認と最終打合せ実施のため、1日早く10/31(水)に出発した。1 日程(全行程)
演奏旅行の全日程はこちら
これは、実際にこなされた日程をそのまま記したもので、これが今回の演奏旅行の全行程となっている。この表の中で、“Aパターン”“Bパターン”“Cパターン”という表現がある。
これは、参加者の都合を考え、4泊6日の参加者が出発日を選べるようコースを設定、少しでも参加し易いよう配慮したものである。・Aコース : 11/1〜11/7(5泊7日:標準)
・Bコース : 11/1〜11/6(4泊6日)
・Cコース : 11/2〜11/7(4泊6日)今回、旅行社からの添乗員が1名行動を共にしたが、11/1〜7の添乗を基本とした。
従って、Bコースの帰国、Cコースの米国行きメンバーはそれぞれ添乗無しで行動したが、それによる不具合は特に発生しなかった。日程表中、10/31の行動は、先行3名+中田氏による内容であるが、この先行チームにより、楽器の準備状況をはじめ、練習会場の下見、ホテルの状況、その他多くの事前確認をおこなうことができた。
2 楽器運搬について
今回の演奏旅行では、個人の楽器を各自が機内持込できるよう、旅行社を通じ、航空会社と事前調整をおこなった。また、チューバ、トロンボーンについては、厳重に梱包し、貨物室での運搬となった。
しかし、チェロは木製であることからも、慎重な運搬が必要だったことから、機内持ちこみをおこなってもよいものとした。ただし、その費用(一般的に座席を1つ占有するため、航空運賃の半額を徴収される)は、団と個人の折半としたが、航空会社とも交渉し、格安の料金設定とすることができた。
また、大型打楽器、コントラバスは現地にて有料で借りることとした。
さらに、楽器にかける保険は個人負担とした。なお、ポートランドにおける大型楽器は、現地日通殿のボランティアにて運搬いただき、全く問題なく練習、本番をこなすことができた。
3 公式行事
今回の演奏旅行では、演奏会関係のスケジュール以外にも、さまざまな形で現地関係者との交流の場が設定された。
そのうち、公式の主なものは以下のようでり、これらは主として姉妹都市協会、日本人商工会により設定されたものである。3-1.ポートランド市長表敬訪問 (10/31)指揮者の中田氏、コロンビアシンフォニーのベッツィ事務局長、中澤氏(伊藤組)、そして札フィル伊東の4名で、ポートランド市役所を訪問。
5月下見の際にもご挨拶した、フィリス・オスター国際部長のご案内で、カッツ市長を表敬訪問し、札幌市・桂市長からのメッセージをお届けした。 また、あわせて札フィルから、記念の版画をさしあげた。
(桂市長メッセージは事前に札幌市国際部を通じておあずかりしたもの)
カッツ市長は、9月11日以降特に多忙となられたにもかかわらず、約15分間我々と親しく懇談され、演奏会の成功を祈念する旨はげましをいただいた。
そして、桂市長宛てのメッセージとともに、記念のネクタイと市のバッジをいただいた。3-2.日本総領事表敬訪問 (11/1)
前回下見の際にもお会いして今回の主旨をご説明させていただいた、副島総領事を在ポートランド日本総領事館にお訪ねし、今回の演奏旅行のご挨拶を申しあげた。
本隊到着前でもあり、中田氏、伊東が中澤氏とともにお会いした。
芸術文化にも造詣の深い総領事としばし、ここに至る経緯、今回の演奏旅行の内容をお話しし、演奏会当日も是非おいでいただくようあらためてご案内した。
なお、その後副島総領事は、2001年12月末の異動で、ポートランド総領事の職を離れられた。3-3.ロザリアン歓迎式 (11/1)
いよいよ本隊到着の11月1日、宿泊先のデイズイン(DaysInn)1階のホールには、お揃いのウェアに帽子、そしてさまざまなケープをまとった紳士が居並び、我々の到着を待ち受けていた。
彼らは、ポートランド市を公式訪問する個人、団体に対し、市としての歓迎の気持をあらわし、セレモニーをおこなう、ロザリアンという組織のメンバー。
バラの街、ローズシティーと呼ばれるポートランドからとった名称とのこと。本来、空港などで儀式をおこなうが、今回はバスの到着を待ってホテルでの歓迎式となり、我々全員が並ぶ中、歓迎式がおこなわれた。
歓迎の言葉のあと、訪問者の代表(中田氏)に対し、歓迎の銘盤が手渡された。3-4.姉妹都市協会歓迎会 (11/1)
ロザリアン歓迎式のあと、宿泊先ホテルのレストランにて、姉妹都市協会主催の歓迎会が開催された。
まず、黒崎会長より歓迎の挨拶があり、その後、オーケストラ側ひとりひとりの名前を読み上げ今回訪米メンバーをご紹介した。
また、その際、協会から各人に記念の品をプレゼントいただき、協会関係者と挨拶を交わした。
さらにその場で、今回のポートランド側ボランティアメンバーとして、伊藤組:中澤氏、斉藤氏
日通 :南氏、木村氏
佐藤典子さん、原田亜古さんが、あわせて紹介された。
3-5.姉妹都市協会主催朝食会 (11/2)
今回のポートランド訪問を心から歓迎したいとのことで、姉妹都市協会主催による朝食会が、11/2朝、ヒルトンホテルにて開催され、札フィルから団長、運営委員長、コンサートミストレス、事務局長が、中田氏とともに招待された。
約15名の会員の方々が集られ、朝食をともにしながら歓談したが、席上黒崎会長より今回のいきさつ、主旨等の説明があり、北団長から返礼の意味もこめ、感謝の言葉が述べられた。3-6.日本総領事主催晩餐会 (11/2)
副島総領事より、総領事公邸での晩餐会のご案内をいただき、11月2日夜、中田氏、中澤氏、伊東が招待された。
当夜は、今回の企画の一方の発案者でもあるポートランドオペラのロバート・ベイリー氏及びポートランド美術館館長(今回演奏会が同美術館内のホールで開催されることもあってのことと思われる)も招待され、約2時間半にわたり懇談した。
4 練習4-1.札フィル練習 (11/2)5 友好合同演奏会(Friendship Concert) (11/4)
到着した翌日の2日、午前中から、札フィルのみでの練習をおこなった。
場所は、ファースト・メソジスト・チャーチの礼拝堂。ここは、コロンビアシンフォニーオーケストラ(以下CSOと略)が毎回の定期演奏会会場として使用している場所であり、CSO側の配慮で当日の午前午後と借りたもの。
練習に先立ち、大型楽器を現地日通殿のボランティアで運搬いただき、開始時間には全ての楽器が揃った。
また、CSOの管楽器メンバーも数名が参加し、午前中は主として、スクールコンサートでの演奏曲目を中心に練習した。
昼食は、あらかじめ注文しておいたランチを教会のご好意でお借りした部屋でとり、午後は主として合同演奏会の曲目を練習した。
礼拝堂はパイプオルガンも備え付けられ、600名ほど収容できるポートランドでも最大規模の施設とのことで、音の響きも非常に良かった。4-2.CSOとの合同練習 (11/3)
11月3日夜、コロンビアのメンバーとの合同練習の時がきた。初顔合わせである。場所は、同じくファースト・メソジスト教会であるが、部屋は別なホールを使った。CSOのメンバーは練習開始の18:30を目指し、続々と集合した。
札フィルメンバーも恐々としてそれをながめていたが、練習に先立って中田氏が挨拶し、札フィルから記念に団のステッカーと北海道銘菓をCSO全員にプレゼントした。
合同演奏では、札フィル、CSOの各メンバーが隣あって座り演奏するという形をとったが、これにより双方の和は一気に広まった。ひとつの楽譜を一緒に見て演奏する、この時ほど“音楽に国境はない”ことを感じたときはなかった。
札フィルのみで演奏する予定だった曲は、参加メンバーの減少で、CSOメンバーに不足メンバー分を補っていただき、予定通り練習することが出来た。指揮は、基本的に中田氏がおこない、コロンビアのみでの演奏曲("あげひばり")と"マイスタージンガー前奏曲"をヒュー・エドワーズ氏が指揮することとなった。
なお、大変残念なことに、楽譜の不足から、"祝典序曲"は演奏できなくなった。そのかわり、2曲用意したアンコールの1曲を演奏し、代替することとした。ヒュー・エドワーズ氏の指揮では、V・ウィリアムスの"あげひばり"が練習されたが、この曲でヴァイオリン独奏したのが、ポートランド出身で現在サンフランシスコ音楽院の学生である、日系のめぐみ・ストーさんである。彼女は全米No.1といわれる青少年オーケストラ「ポートランド・ユース・フィルハーモニック」のサブコンサートマスターをつとめたこともあり、大変美しい演奏をきかせてくれた。
そして、その後の話合いで、彼女に2002年6月の札フィル定期演奏会で我々と共演いただくことが確定したのである。合同練習はたった3時間であったが、予定していた全曲をこなし、無事終了、本番での健闘を互いに誓い合った。
いよいよ合同演奏会本番の日をむかえた。
当日は朝から曇り空。実は札フィルが到着してから、ポートランドでは青空を全くといっていいほど見ていなかった。どうも11月という時期は曇りや雨が多いようである。さて、会場となる「ポートランドアートミュージアム バルルーム」は朝から使用可能とのことだったので、会場下見も兼ね、10時頃には何名かが楽器をもって会場を訪れた。ここは、宿舎から歩いて10分ほどの緑多い地区にあり、美術館とは通路をはさんだ分館にある。
会場はバルルーム(舞踏会場)という大きなホールで、日本でいう講堂といった感じだが、音の響きは非常によく、オーケストラ演奏などにもよく使用されるとのこと。
しかし、中は真っ暗で、ステージは足の踏み場もないくらいイスや道具が散乱しており、とても夕方からコンサートが開かれる、という状況ではなかった。かろうじて客席に約600以上のイスが整然と並べられていたことが救いではあった。
午前中は、こうしたなかで札フィル各自の個人練習時間とした。
各自昼食後、午後2時からCSOとのリハーサルがおこなわれたが、結局ステージは使用せず、前方の床面上に台を設置し、仮のステージを構築、使用した。ただし、これにより音が部屋全体に響き渡り非常にいい効果をもたらしていた。
なおリハーサルに先立ち、CSOよりCSO演奏会テープ(各自に)と記念の本が贈られた。たった3時間の練習、たった30分のリハーサルで本番をむかえることになった。
16:00開演であったが、15:30ごろになっても客足はそれほどでもなく、若干不安がつのってきた。一方演奏者の我々も、更衣室がなく、各自それぞれ工夫しながら限られた倉庫などを使って着替えを行なった。しかし、こうしたことは、実は今回我々にとって貴重な経験であった。つまりステージの準備ができていない、更衣室がない、といったことは演奏自体にはあまり関係ないじゃないか、それに不都合があればなんとかその場でみんなで工夫し協力し合って解決すればいいだろう・・・こういった精神を学び取ることができたと思うのである。現に仮設ステージも演奏者用イスも直前に皆で協力し、気が付いたら全て準備ができあがっていた、という状況であった。
心配していた客足だったが、開演時間が近づくにつれ続々と来場者がおとずれ、いつの間にか会場は満員となっていた。
そして開演。しかしこれもアメリカ的というか、開演のベルが鳴るわけでもなく、演奏者が適宜席につき、会場が静かになった頃を見計らい、コンサートマスターが入場、そして指揮者が入場し、演奏が始まるというものだった。
なお、札フィルとCSOのメンバーは練習時同様、隣り合わせで座った。コンサートは、まず9月11日の犠牲者を追悼するバッハの"アリア"で開幕した。
その後、『ザンパ序曲(合同演奏)』『チャイコフスキー交響曲第五番(札フィル中心)』と進んだ。特に約45分にもおよぶ交響曲が終了した時には一段と大きな拍手をいただいた。
そして、休憩。ロビーではボランティアメンバーによると思われる飲み物とクッキーが来場者にふるまわれ、日本での演奏会では見られない非常になごやかな雰囲気を感じた。休憩時間も何分と決まっているわけではなく、客がほぼ席に戻ったころ、演奏者がばらばらと入場し、会場が静かになったところで、指揮者と独奏者が入場した。後半は『あげひばり』からで、ヒュー・エドワーズ氏とめぐみさんが英国の美しい風景を思わせる素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
会場は彼女の華麗な演奏に対し、スタンディングオベイションで賞賛した。
そして、合同演奏で『ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲』をヒュー・エドワーズ氏の指揮で演奏、両オーケストラあわせて100人近くの大音響で会場を圧倒した。さらに『さくら変奏曲〜ラプソディ』という日本の曲を全員で合同演奏したが、金管及び打楽器のメンバーは日米双方とも鉢巻を締め雰囲気をもりあげて最後の曲を精一杯演奏した。
これが奏してか、演奏終了とともに、会場は総立ちとなり、我々の演奏に対し、大きな拍手と歓声をいただくことができた。まさに感無量、本当に今回の演奏会が実現できて良かったとつくづく実感したのもこの時だった。
鳴り止まぬ拍手に応え、ラプソディを再度演奏し、再び大きな拍手をいただいた。
こうして演奏会は18:30すぎに圧倒的な感動の中終了した。
6 レセプション (11/4)
演奏会終了後、直ちにアートミュージアム2階の会場で、姉妹都市協会主催のレセプションが開催され、両オーケストラメンバー、指揮者、独奏者らが招待され、今回の演奏会の関係者が顔をそろえた。
まず、黒崎会長が挨拶、その後、両指揮者、市長代理の議員(カッツ市長は公用のため来場されなかった)らに続き、演奏会にもいらした副島総領事が挨拶をされた。その間、もうすっかり"仲間同士"となった両オーケストラメンバーがお互いの健闘をたたえあい、杯を交わした。
全ての演奏会行事を終了し、外へ出た時には、とうとう雨が降り出していた。さて、その後、あらかじめ予約いただいていた中華レストランにて今回のボランティアメンバーへの感謝も込め、札フィル演奏会打上げをおこなった。
久しぶりの白米もあり、夜遅くまで宴は続き、あらためて演奏会の成功をかみ締めた。
7 スクールコンサート (11/5)
まだ、昨晩の興奮が冷めやらぬ5日、朝早くからスクールコンサートに向けホテルを発った。しかし残念なことにこの日もっと早くBパターンの4名は帰国の途についたのであった。
さて、我々を乗せた大型バスは、月曜の朝のフリーウェイを気持ちよくバンクーバーへ向かい、通勤ラッシュを反対車線に見ながら、8時には学校に到着した。
丁度生徒たちの登校の時間で、思いがけずアメリカ生活の一端を見ることができた。
学校の壁には、日本からのオーケストラを歓迎します、の看板が掲げられていた。校長先生、担当の先生方が大歓迎してくださり、早速体育館で、ステージの準備に入った。どうしても足りない木管及びホルンそしてチェロについては、昨晩の演奏会に続いてCSOのメンバーが手伝ってくれた。
ステージでリハーサルをしていると、子供たちが担任の先生に引率されて入場してきた。やがて体育館は約450名の生徒と先生でうめつくされた。
今回は、1時間目の授業として全校生徒が参加したとのことで、9時にスタートした。
中田氏の指揮で、親しみやすい小品や、ジュラシックパークといった映画音楽などを演奏。さらに、指揮者コーナーでは賞品を用意し、生徒の参加を促したところ大変な競争率となり、すっかり会場も興奮してきた。さらに中田氏による音楽クイズなどもありあっという間に45分がすぎてしまった。
そして、全ての演奏が終わり、生徒代表から御礼の言葉が述べられ、最後に全校生徒がマーシャル小学校校歌を大合唱してくれた。校長先生からも感謝の言葉をいただき、終了後、1時間以上かけて、校内を案内してくださった。
生徒の愛らしい笑顔を後に、ポートランド市内へと戻ったのは12時過ぎであった。
8 観光
当初から、演奏だけでなく観光の時間も考慮しつつ計画を立ててきた。
結果として、11月3日(夕方まで)を自由行動とし、各人各様ポートランドを楽しんだ。
また、11/5のスクールコンサート終了後、午後から、バスにてマルトノーマの滝観光を楽しんだ。なお、5日ははじめて朝から快晴となったが、夕方には雨が降り出した。ポートランドは治安もよく、公共交通も発達し、市内移動はいたって容易であった。
昼間、ホテルから練習場への移動は、各自MAXと呼ばれる市電を利用するなど、初めての訪問者にも非常にわかりやすかった。そもそも街並みが札幌とよく似ており、さらに紅葉が美しい時期でもあったため、我々は知らない土地に来たという違和感を全くといっていいほど感じなかった。
9 帰国
A、Cパターンメンバーは、11月6日、早朝ホテルを発ち、バスにて往路とは逆にシアトル空港へと向かった。約3時間の旅である。
入国時同様、空港での手続きには時間がかかったが、無事チェックインし、成田へ向け予定通り出発、11月7日(日本時間)午後成田到着、さらに同日夜無事新千歳空港に降り立った。こうして前日帰国したBパターン4名、さらには別便で帰国となった中田氏を含めて全員が事故もなく帰国することができ、今回の演奏旅行は大きな成果をあげ、無事終了した。
なお、帰国後、関係機関を訪問し、演奏旅行成功のご報告と御礼を申しあげた。
また、札幌市国際部には、あわせてカッツ市長からのメッセージをお届けした。