アクセス数 1457

6日目〜7日目
運命の最後の日・・・(Sanaeko編)


 この日は5時起きで6時半にはホテルを出発。一路空港へ。バスではみんなお休みモードで私も前方のすいているところに一人で座って静かに過ごしていた・・・これが事の発端。窓の外の景色をVTRにおさめつつもシアトルの街は霧がすごいし眠いしでほとんど寝て過ごした。空港の手前15分程度のところにあるパーキングでトイレ休憩となる。15分くらい停まっていると添乗員が言っていたので、少し余裕があると思い、みんながコーヒーなどを飲んでいる間、一人うろうろして、日本にはない長ーいトラックが並んでいるのをVTRにおさめたり、故障してる車から煙が上がってるのを心配したりしながら一人でウロウロ。苔むした木などを眺めてて、ふと気づくと周りには人がおらず、皆から遠くに来てしまったなあと思って振り返ってみると、プシュっとバスが今にも動こうとしているではないか!

 半分信じられない思いで走って追いかけ、wait〜と叫んでみるも半信半疑なので大きな声も出ず(出でも聴こえないって)。バスが高速道路にのる前にバイクに先導されてしばし停まっているのが見えたので少し期待が復活して走ったがあまりにも距離があって追いつけずそうしているうちにバスは無情にもどんどん小さくなっていった・・・。

 ここはドコ!?いったい私はこんなところで置き去りにされて誰に何と行って助けを求めたらいいんだ?!?・・・ミニカーのように遠くなってしまったバスを眺めつつ、どうしようもないので泣きそうだったが、泣いていても何にもならないョと自分に言い聞かせて頭グルグルした結果、とりあえず、聞いていた団員の携帯電話にかけてみることを思いついた。でも今回の旅では現地で公衆電話を使ってみてなかったし、コインをホテルに置いてきてしまったので50cents coinと標示されている公衆電話を前にしばし困ってしまって立ち止まる。近くで様子を見ていた中年夫婦に両替を頼むと快く携帯電話を貸してくれた。

 しかしいくつか電話をかけてももう領事館に返してしまってあるものだったり話中になってつながらなかったりしてダメだった。中年夫婦と相談し、もうしばらく待ってもバスが戻ってきてくれなかったら、飛行機に間に合わなくても困るし、夫婦が空港まで送り届けてくれることに。夫婦はしきりにキミの仲間はいなくなったことに気づいて戻ってこなくてはいけないと言ってくれるが、演奏旅行の最後の日でおそらくみんな疲れて寝ているので欠員に気がつかないかも、もし戻ってきてくれるとしても折り返し地点が近くにはないかもしれないしそうなると飛行機に間に合わないかもと話す。旦那さんの方が、バスが戻ってきたときのことも想定して、レストルームの女性に夫婦の携帯番号のひかえを渡してくれて、もし探しにバスが戻ってきたら空港に向かったことを伝えてもらうよう手配してくれ、出発することに。

 彼らは故郷のカナダに帰る途中で、トラックと荷物でいっぱいの乗用車の2台をそれぞれが運転して移動しているところだった。なんとかなりそうということが判明して少し動揺が治まり、車の上にタイタニック状態でのっていこうかなどと言いつつも、助手席をなんとか空けてもらって私は奥さんと乗用車で出発。彼らの携帯は奥さんの方が持って、もしみんなが戻ってくれて電話してくれたら私が話せるようにしてくれた。

 しばらく走っている間、VTR撮りたくてうずうずしたが、助けてもらっている立場でそれはないだろうとさすがに我慢。あれこれ話しているうちについに電話がかかってくる。添乗員に状況を説明し、空港で落ち合うことに。ほっと一安心。そしていよいよ空港の案内標示が左手に見えてきたので、前を行く旦那さんのトラックも左レーンに寄り、奥さんも後に続く。ところが、空港に入る道は右からとなっており、混んでいる中旦那さんのトラックは急に右レーンへ。我々の乗る乗用車は右に移る機会を失い、そのまま直進。少し先まで行って高速をおりる。道もよくわからず、ガソリンスタンドの人に空港の方角などを訪ねる。旦那さんは携帯を持っていないので奥さんは困って一旦停まる。私はもうどうにでもなれという気分だったが、奥さんが困っているので申し訳なかった。旦那さんから電話がかかってくるまでしばらくかかったが、なんとか連絡がついた。旦那さんの言うことには、たった今警察に先導されてそれらしいバスが旦那さんのトラックの止まっている横を通って空港へ向かっていったとのこと。

 追いかけるように我々も空港へ。空港が見えてくると同時にみんながワラワラ荷物を降ろしているバスも見えてきた。アレダー!!!

 お礼をしようにも荷物はほとんどバスに置いてきていたしお金渡すのもなんだし、感謝のことばもその時のキモチを全て表すにはあまりにも稚拙・・・それでも奥さんは一緒に喜んでくれて最後の旅の無事を祈ってくれた。また警察に出口の場所を尋ねていた旦那さんもアチラ式にアツイ抱擁で私のお礼に応えてくれた。デカイ私よりさらに数周り大きな巨体の彼のヒゲが少し痛かったが本当にやさしい人だった。名前を聞くのを忘れてしまったのが悔やまれるが、一生忘れられない親切な夫婦となった。わかっているのは旦那さんが大学で電気関係のことを教えていること、奥さんが以前新聞社で働いていたこと、お子さん達はアメリカ各地にいることくらい。なんかの番組ででも探してくれないかなあ・・・。

 バスの前まで行くとみんなも歓迎してくれた。みんなと一緒にいるのがこんなに安心とは・・・!

 以上が世?に言う「置き去り事件」。ビデオにはシアトルタコマ空港での安心したフヌケ顔の私が映っている。その後しばらくは同じ説明を何度もしなくてはならなかったし、千歳での解散式でも、目の前にいるのに小林さんいる!?といちいち点呼確認される始末。

 自宅に戻って実家に電話をして事の顛末を話している間、ようやく自分が無事(?)であるという事実が体の芯まで染みてきて、つくづく親切なカナダ人夫婦に感謝しつつ、自分の部屋に戻って座っていられる幸せをかみしめた。

 あれから半年。いまだにVTR撮ったり勝手な行動とったりしてるとなんやかんや言われているというわけ。
   


戻る